今井 晥弌「心を理解することを通して慢性的な体の痛みをケアする」

医療現場において、臨床心理士は心を理解することを通して慢性的な体の痛みをケアする役割を取ります。

私がケア(カウンセリング)を行ってきた慢性疼痛の患者さんの多くは、情動との繋がりが悪く、想像を絶する悲惨な体験を心で受け止めることができなくて、体でのみ受け止めるので、体にかかる負担が大きく、そのゆえに慢性的な体の痛みと症状を呈しておられます。
心理力動的に説明すると、「情動は認識され(自分のものとして認められ)なければならず、身体のなかで経験されなければならない。最後に情動は言語のなかに言葉による表現を見出さなければならず、個の物語としての歴史、つまり彼や彼女の生活史のなかに組織化されなければならない」と少し理解するのが難しい表現になります。

山形孝雄は「黒い海の記憶」の中で次のようなことを書いている。
東日本大震災から2年たったいま、日本では「花は咲く」が広く歌われている。「花は、花は、花は咲く、私は何を残したのだろう……」と歌っているのは死者である。震災前、日本中を席巻した「千の風になって」の主人公も死者だった。「私のお墓の前で泣かないでください。そこには私はいません」と歌っていた。それは近代仏教がタブーとして封印してきた「死者の語り」であった。
なぜ封印されたのか。「死者の語り」は平穏な社会秩序を脅かす呪いや亡霊の怨嗟の声とみなされたからである。
かつて、平家物語を語って歩いた琵琶法師の存在が浮かぶ。滅亡した平氏の無念を語り、やがて仏教界から追われていった盲目の僧である。近代の戦争では戦士者は等しく愛国者として顕彰され、死者の無念が語られることはなかった。

私が驚いたのは、そうした「死者の語り」が「花は咲く」に再び顔を出していることであった。
私の講義では、認識されずに死者となった情動が、カウンセリング場面で語られ、花が咲き、痛みが和らぐ過程を説明します。

いまい かんいち

1973年3月▶同志社大学大学院人文学研究科 修士 以後、兵庫県立精神衛生センター 技術吏員(精神科ソーシャルワーカー)、頌栄短期大学 教授を歴任
1997年4月▶京都文教大学人間学部 教授
2007年4月▶京都文教大学大学院博士後期課程 教授
2014年4月▶京都文教大学 副学長
2017年4月▶鈴鹿医療科学大学保健衛生学部医療福祉学科臨床心理コース 教授