上條史絵「痛みのミステリー」

慢性疼痛の患者さんには、それぞれのストーリー:物語がある。ペインクリニック受診後、紹介されて私との面談にやってくる方たちは、痛みを抱える状態に至るまでのさまざまなお話を聴かせてくれる。多くのメインストーリーは、ある手術や怪我をきっかけとして、手術後には、あるいは時間経過とともに軽快するはずだった痛みが残存し、今でも苦しんでいる、という内容である。時には、思春期から続く原因不明の身体症状の遷延だったりもする。そして、多くの治療が難渋するのは、各種の検査では顕著な所見がなく、一般的な治療経過では起こらないはず(と思われている)の痛みが訴求される点である。
では、何が痛いのか。問題は何なのか。どうしたらこの痛みは取れるのか。慢性疼痛に対して医療は決定的な回答は提供できておらず、今後もされることはないだろう。このミステリーの謎解きはどのようになされるのか。心理学的援助の立場から、少し話してみる。

痛みの体験は“主観的”とされるように、患者さんの語りは大変個性的でオリジナルな物語である。痛みが慢性化するまで繰り返し語られ、本人の心の中で反復されると物語もまた慢性化し、ある意味、神話化されている。時に非合理的な事柄も、繰り返されることでそれを信じ込ませる作用や呪術的支配力をもつ。そうなるとそれらの物語は意識されぬまま、現実生活に強く影響を及ぼすこともある。臨床心理学的にいえば、気づかぬうちに無意識下からその人全体に染み込み浸透していく。例えば、生きていく上での諸活動を、痛みのある・なしで、出来る・出来ないに分けて考えるようになったり、人格やアイデンティティの一部に痛みが根付くような状態である。からだの一部分が痛むという信号を、脳や意識がキャッチしているにすぎないのに、そのことにその人全体がある意味支配されてしまう。おおよそ痛みはネガティブな事象なので、ストーリーは、悲劇的・悲観的なものになりやすい。神話的作用は、それと気づかぬままに個人に強く影響する点でやっかいであり、強烈なのだ。
基本的に心理学的援助の立場からは、この個人的な神話化したストーリーが変化し、患者さんの痛みに対する気持ちや考え方、痛みを抱えて生活することへの認識が変わることを目指している。新しい物語を付加したり、元の神話を更新(バージョンアップ)したりすることが目標である。けれども硬直した患者さんの現状が変わるよう、せめて風穴を開けねばならぬと、やや強引に小さなほころびをこじ開けようとすると、強い勢いで痛みのストーリーを繰り返す人もいる。その様子は強迫的でもあり、聴く側からすればその物語への執着を感じさせる。治りたくないのかな、良くなりたくないのかな、その状態ではさぞかししんどかろうに、と思わせるほどの強固な語りは、まさにミステリーなのである。

このミステリーに耳を傾け、どうやってその謎を患者さんも納得する形で解いていくのか。傾聴による安心感・充足感を得てもらったり、認知を修正したり、イメージから痛みにアプローチをしたり、マインドフルネスで心身の統合を促進したり、というのが、私が現在実践している主な技法である。面談でこれらを重ねると、痛みの状況が大きく変わらなくても、患者さんの全体的な印象が落ち着き、語られるストーリーにも変化が現れてくる。ミステリーがほころびていくメカニズムは、まだよく分からないけれども、慢性疼痛に対する心理的援助の可能性は大きいと考えている。

この問題に対して、ぜひ学生のみなさんと一緒に考えていきたい。

かみじょう しえ

2004年▶大阪大学人間科学部人間科学科教育学専攻卒業
2011年▶大阪大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程単位取得退学
2012年▶いわき明星大学心理相談センター 契約教員 2013年▶大阪大学大学院人間科学研究科 助教
2014年▶阪南大学学生相談室 主任カウンセラー
2017年▶三重大学大学院医学系研究科麻酔集中治療学 特任助教
2019年より現職。臨床心理士・公認心理師。