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たか子の部屋

このコラムは緩和ケアチーム医師のつぶやきの場所です。臨床現場で出会った素敵なエピソードを紹介したり、日々の緩和ケアの実践で気づいたこと、考えたことをつづります。

「すごい名前の学会があるんですね」

 タイトルは、関連学会開催のお知らせでも取り上げている「第46回日本死の臨床研究会年次大会」にまつわるエピソードです。日本死の臨床研究会は私が所属している学術団体の一つで、年に1回全国規模の年次大会が開催されてきました。今年は11月26日・27日に津市の三重県総合文化センターで開催され、私は大会長を拝命し企画・準備・運営にあたっています。日本死の臨床研究会は、「死の臨床において患者や家族に対する真の援助の道を全人的立場より研究していくこと」を目的として1977年に設立されました。誰にも平等に訪れる「死」と「死にまつわる問題」に正面から取り組み、すべての人が人生の最期の時まで希望する生き方を実現できるよう、死をめぐる援助の在り方を追求してきました。

 会誌の表紙を見かけた同じ病院で働く医師が、驚いた顔で私に声をかけてくれたのは、20年前のことなのです。治らないとか、死ぬとか口にするのも憚られる雰囲気の中で、「死の臨床」と書いてある会誌を読んでいる私は、その先生にとってどのような人間に映ったのでしょうか。初めて名称と聞くと驚愕とともに、縁起でもない、考えたくもない、やめてほしいと瞬時に感じたのかなと推察します。その時から医療現場の雰囲気が変わっているかというとそうではありません。また、患者さんや家族の方で同様の感情をお持ちの方が多数いることでしょう。自分も振り返ればそのような時期がありましたから。


 私がこの研究会に出会ったのは緩和ケア医の道に足を踏み入れたころでした。麻酔科の医師としてスタートをして専門医になった私は、手術室での麻酔とともに集中治療やペインクリニックのトレーニングを受けました。それぞれの専門分野でなにがしかの医療ができるようになったのち、がん患者さんの疼痛緩和に関わるようになりました。医療用麻薬でがん疼痛は緩和されても患者さんの苦悩は和らぐわけではない現実に私は直面しました。「痛みが取れたってがんが治るわけじゃない。痛み止めを飲む意味はない」「痛みは楽になった。でも残りの時間をどうやって私はいきていけばいいのか」「体が弱ってどんどんできることが減っていく。ああ情けない」・・・。私は、医師としてどうしたらよいのだろう、何ができるのだろうと思い悩みました。そんなとき、「死の臨床研究会」に出会いました。会場で講演を聴いたりシンポジウムや事例検討に参加したりして、多くの先人たちの援助とケアの在り方を学ぶことができました。苦悩を抱えながらも意味を見いだし笑顔をみせて最期の時を生き抜く患者の姿、家族や周囲とのつながり、それを支える緩和ケアの専門職の援助とケアの在り方に出会って感極まって涙があふれました。想いかえせば、学会で泣くってすごいことですね。


 今、臨床現場で援助とケアが十分かと問われたら、そうではありませんとのお答えしかできないのが現状です。。深遠なケアの道を追求し、患者さんの一人一人の「今、ここで」での気がかりを気遣い、寄り添っていくことを続けていきたいと思います。   

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