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たか子の部屋

このコラムは緩和ケアチーム医師のつぶやきの場所です。臨床現場で出会った素敵なエピソードを紹介したり、日々の緩和ケアの実践で気づいたこと、考えたことをつづります。

がんばること、無理すること、無茶すること

酷暑が続く中、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
今日は、表題にある三つのことを比較し考えたことをつづってみようと思います。

患者さんは、医師に対して「がんばります」と表明してくれることがよくあります。治療や病気によっておこる症状に負けないよう、自分で可能な努力をつづけてもらっているのだなと感じます。治療後の倦怠感が続く中で「がんばって歩いています」、食欲がないけれど「がんばって食べてます」、診察を終えて帰るときにも「がんばります」と。
「今、このとき」が困難であったとしても、この先の目標や希望を思い描きながら、そこにむかってひたむきに意欲的に行動する姿は、胸を打ちます。人間の行動力の原点は、将来の可能性や価値あることと思えることへの希求なんだなと、強く実感させられます。それによって、改善や維持がもたらされるのですから。

ただ、思った成果が得られなかったり、報われなかったりが続くと、もうがんばれないという状況になることがあります。良かれと思ってかけて「がんばってくださいね」に対して「こんなにがんばっているのに、これ以上何を頑張れって言うんだ」と。重い病気の場合、がんばれない、無理だと思う状況になることが稀ではありません。「がんばれないと思ってしまうのは自分が弱いせいだ、がんばらないといけないのに」と自分を責めてしまう患者さんもいます。病気になったこと、それにまつわって気持ちも世の中との付き合いもがらりと変わってしまう場合、生き抜いていくだけでも大きなエネルギーを必要とします。普段なら、力が出せる・がんばれるはずなのに、その気力・意欲が著しく減ってしまうようなことが起きてしまうのです。だから、必要以上に体力・気力を消耗しないように、がんばらないで過ごしつつエネルギーの充電を待つことも必要なのではと思います。
無理をしてよりしんどくなってしまっては元も子もありません。無茶をしてさらによくない結果になってしまうのは本末転倒です。自分が頑張りすぎていないか、無理や無茶になっていないか、時にはちょっと立ち止まって、自分を気づかってあげてほしいなと思います。

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