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ごあいさつ

病院長 伊佐地秀司

私は、平成31(2019)年3月31日に三重大学を定年退職(前職:医学系研究科肝胆膵・移植外科学教授)しましたが、令和元(2019)年10月1日より病院長(専任)を拝命いたしました。そこで、ご挨拶をかねて、本院のこれまでと現状を紹介し、さらに令和の時代に進むべき道について述べさせて頂きます。

これまでの歩み

本院は、明治9(1876)年5月に三重県医学校兼治療所(初代校長・病院長:野口安次)が安濃郡塔世村(現在の津市栄町)に設置されたことに端を発し、明治22(1889) 年9月に三重県医学校廃校に伴い私立今井病院となり、明治43(1910)年4月には津市立病院となりました。昭和18(1943)年12月に三重県立医学専門学校の設立に合わせて津市立病院が移管され同附属病院(津市栄町)となりました。昭和47(1972)年5月に三重県立大学医学部が国立移管され、昭和48(1973)年10月(私は同年4月に医学部入学) に本院が現在の場所に開院しました。昭和50(1975)年3月に附属病院看護学校校舎、昭和55(1980)年3月に附属病院東病棟、平成13(2001)年3月に医学部看護学科棟が竣工されました。平成16(2004)年4月からは三重大学が国立大学法人となり、また附属病院の診療科・診療部もそれまでのいわゆるナンバー科から臓器別に改組されました。なお、平成13(2001)年7月には、老朽化が進む附属病院の再開発を目的に附属病院再開発計画推進準備室が設置され、7年間の精力的な活動が実り、平成20(2008)年3月に新病院の工事安全祈願祭が執り行われました。平成24(2012)年1月には屋上にヘリポートを備えた12階建ての新病棟が稼働し、平成27(2015)年5月に新外来・診療棟が開院し、さらに平成30(2018)年3月には駐車場・外構工事も終了して、ここに全く新しい本院が完成しました。また、令和元(2019)年9月には本院敷地内を含む三重大学構内を散歩やジョギングができる全長4kmのトリムコースが整備されました。

本院の現状

本院の基本理念は、「信頼と安心が得られる地域医療の拠点として、未来を拓く診療・研究を推進し、人間性豊かな優れた医療人を育成する」です。これを私なりに簡潔にまとめますと、「倫理・安全文化のもと救命救急・先端医療の推進と地域医療貢献」となります。この簡潔なフレーズを全ての職員に毎日、唱えて頂くようにしたいと思います。さらに、今年4月の附属病院新規採用職員に対する研修では、病院長としての方針で「救急医療は本院の一丁目一番地」であることを明言しました。

本院は三重県唯一の特定機能病院(一般の病院などから紹介された高度先端医療行為を必要とする患者に対応する病院として厚生労働大臣の承認を受ける)であり、三重県の医療における最後の砦として県民、市民のみなさまの期待に応えられる医療の提供に努めています。津市の二次救急体制調整会議では、本院は三次救急(一次救急や二次救急では対応できない重症・重篤患者に対しておこなう医療、本院では2ヶ月毎にドクターヘリの運用も行う)を担っておりますが、月に2~3回は二次救急も担当することになっています。本院の救命救急センターは、今年3月に厚生労働省が発表した「平成31年~令和元年度救命救急センターの充実段階評価(全国292の救命救急センターを対象)」において、最も高い「S」評価を受けることができました。S評価を受けた救急救命センターは、当院を含め全国で76施設、国立大学法人附属病院では10施設のみです。

がんセンターのない三重県において、本院は三重大学がんセンターを開設していますが、ここが中心となり県下の病院とがん診療のネットワークを構築しています。本院は、都道府県がん診療連携拠点病院(全国51施設)であるとともに、小児がん拠点病院(全国15施設)でもあります。さらに、個々のがん患者に最適な医療を提供するため、がんゲノム医療を牽引する高度な医療機関を目指してきましたが、その努力が報われ昨年9月には、がんゲノム医療拠点病院(全国34施設)の認定を受けることができました。

中央手術部では、各診療科が行う高度先端医療に対応するために、ハイブリッド手術室を完備するともに、臓器移植(腎移植・肝移植など)、新生児手術、ロボット支援下内視鏡手術(ダビンチ:現在2台が稼働)、腹腔鏡・胸腔鏡などの鏡視下手術など幅広い手術に対応しています。平成29(2017)年より形成外科とリウマチ・膠原病センターの診療活動も開始し、順調な滑り出しをして頂いています。さらにリハビリテーション部の充実をさせるために本年3月1日からリハビリテーション科が新設されました。

大学病院の使命として、診療のみならず、教育・研究の推進も必要です。教育に関しては、医学部医学科(現在定員125名)と看護学科(現在定員80名)の教育病院として医師・看護師養成を行なっています。医師の初期臨床研修(卒後2年間)に加え、平成30(2018)年度より開始された専門医制度(3年間)においても、本院が中心となり医師の育成を行ってます。県内唯一の大学病院で、創立75年を超える歴史があることから、県内の多くの基幹病院などへ545名(平成31年1月1日現在)の医師派遣を行っている実績をみても、本院は地域医療の充実、医師不足地域における医療の確保に貢献していることが明らかです。

令和の時代に進むべき道

令和の時代に附属病院が進むべき道として、私は7つの柱を立てました。すなわち、高い倫理観・安全文化のもとに、(1)救命救急・総合集中治療センターのさらなる強化、(2)先端医療の推進、(3)リハビリテーション診療の強化、(4)病院防災機能の強化(津地区には巨大地震が684年から1944年までに9回襲っていることを記憶し、生きたBCPを職員全員で共有できるようにする)、(5)地域医療への貢献、(6)AIの導入(画像診断、診療支援、事務作業支援など)、(7)IoT、IoE時代への対応(スマートホスピタル計画)です。本院はこれまで災害対策に関する具体的な対応が十分でなかったことから、本年1月に災害対策推進室を立ち上げました。本院は、他の病院にはない災害レベルを設けているのが特徴です。すわなち、津波による被害を受けた際のレベルを最高レベル5「籠城」としています。因みに、明応7年8月25日辰刻(1498年9月11日8時頃) に、東海道沖で発生した明応地震で津地区は甚大な被害を受けたことが記録されています。この地震は南海トラフ沿いの巨大地震と推定されています。当時、「安濃津」は、日本の十大港湾都市、すなわち三津七湊(さんしんしちそう)の一つで、繁栄した港街として内外に知られ、数千戸が軒を連ねていましたが、大津波が安濃津の港街を襲い、街の繁栄は一瞬の間に消滅しました。災害対策は常日頃から職員全員が意識し、訓練を行う必要があり、さらにこれを継続し、時代に応じた進化をさせる必要があります。これを可能にするために、医学部生及び職員全員への教育・訓練を行う必要があることから、附属病院に「災害対策推進・教育センター(仮称)」を設置する予定です。

今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックは私たちの生活を一変させました。本院は、4月~5月の緊急事態宣言下では、県内の重症患者を受け入れるために救命救急・総合集中治療センターにあるHCU(高度治療室)のうち6床(うち、ECMO「体外式膜型人工肺」用2床)を人工呼吸器管理が必要な重症患者の受け入れ用として準備し、さらに重症患者の回復期ケアを可能にするために一般病棟をCOVID-19専用病棟としました(6月末で終了)。救急外来においては、患者さんはすべてCOVID-19陽性者として対応し、N95マスクの着用による個人用防護具(PPE)で対応しなくてはならず、救命救急・総合集中治療センターのスタッフへの負担増となっています。本院は、病院内の感染対策として「感染制御部」を設けていますが、ここには専門資格を有した医師・看護師・薬剤師・検査技師がいます。今回のコロナ禍を経験し、感染制御部のさらなる拡充が急務であり、スペースの拡充と人員の増員を行う予定です。

最後になりますが、倫理・安全文化の醸成のもと、風通しがよく、生き生きとした学習する組織を構築することで、未来を拓く診療・研究を推進し、質の高い医療を実践できるように、病院長として「号令・命令・訓令」を使い分けた強いリーダーシップを発揮しますので、今後ともみなさまのご支援をお願い申し上げます。

令和2年8月1日
三重大学病院医学部附属病院 病院長 伊佐地秀司